大器晩成型の人とは、期待されたよりも後に
熟練スキルを身につけた人々のこと。
彼らの場合、キーワードは「期待」である。

19世紀から教育が標準化され、教育と年齢が強く関係づけられるようになった。
その頃から学校制度では工場から模範を得、製造年月日をベースにし
多人数で教育を受けさせるようになる。

例えるなら、もしあなたが7年前に「製造」されたとするならば、
今が掛け算九九を学ぶとき、と決められる。
もし10歳になって掛け算ができないと「お利口じゃない」組に入れられる。
完璧なロジック。

しかし、多くの成功者がこれが間違っていることを証明してみせた。
年を経てから、スキルを習得してみせたのである。
それではどのような大器晩成の人々が存在したのだろうか。

 too late to learn - late bloomers-people who succeeded infographic

ジョセフ・コンラッドは現ウクライナの一部、当時のポーランドで育ち
39歳のときに英文学の巨人の地位を確立したが、
コンラッドは20歳まで全く英語を話さなかった事実はあまり知られていない。

結果的に彼が外国人であるということが、彼の文体スタイルを確立したのだ。

大器晩成の人は、環境が少し違っていたら
もっと早く成功していたかも、という印象はぬぐえない。

ポール・セザンヌの父親は、息子がアートを勉強したいという希望に反対した。
それがポールの芸術家への道を遅らせたかもしれない。
もちろん、あなたの想いが強ければ、親でさえもそれは止められない。

シルベスター・スタローンは、もともと俳優志望だったが、
アパートから追い出されやむなく2日間で200ドルの
ソフト・ポルノ作品での役を演じた。
結果的に映画「ロッキー」の成功にたどり着くまで、時間がかかってしまった。

誤った、又は条件の良すぎる仕事環境に長く居過ぎてしまうという例もある。

レイド・ホフマンはペイパルでの成功を享受し、
マーサ・スチュアートは株の仲買人として成功した。
ジュリア・チャイルドは公務員としての安定した仕事があった。
しかし、彼らは人生の後半それ以上の能力を発揮したのである。

ファウジャ・シンが「走る」ことに特別な意味を見出したのは、
息子が事故で亡くなった後のことだった。
ファウジャは悲しみの淵にいたが、
その後インドから英国に移住しマラソンに出会った。

人生の後半で何かを学ぶのは、ときとして損な気持ちになるかもしれない。
しかし何かを早い時期に始めても、必ずしもスキルが高くなるというわけではない。

最後に、公平なことを述べるとすると、
音楽やコンピューター・サイエンスなどのある分野では
遅咲きは稀なケースである。
この分野での大器晩成の成功者は、
なかなか見付けられないということは認めなくてはならないだろう。

Funders and Founders より引用